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さあ、新しい年へ。 

 皆様、今年はどうでしたか?
 来年もよろしくお願いします。
 良いお年を。

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「お局戦士セイラアムーン」その6。 

 そろそろ寒くなってきた町を、あかりは一人家路についていた。自分に能力が発動してから、すでに一ヶ月が経とうとしていた。あれからもう二体の妖魔を封印したあかりは、乗り切れない自分の気持ちに関わらず、もう既に自分のあずかり知れぬところで、事態は深刻化しているのを実感していた。妖魔はいつの間にか"乗っ取り"による侵略を開始していたのだ。先週はアイドルになりすましてコンサートで洗脳を行っていた妖魔を消し去った。
 「はあぁ…。」だが、あかりにとって、ストレスは溜まりっぱなしだった。浄化しても、既に喰われた人間は元に戻る事は無かったからだ。浄化された瞬間、一瞬だが顔の邪気が消え、元の意識が戻り、満ち足りた顔で消えていく。それもただ、辛いだけだった。「死んだ人間は生き返らない。」思わずつぶやいた、その事実を確かめるばかりの日々。
 杏子がいなくなった職場も一時混乱したが、今では以前と何も変わらないようだ。穴埋めは誰かがして、会社の日々は、いなくなった杏子を忘れさせていく。『…あの子はどこに行ってしまったんでしょう…?』杏子のマンションの家財道具を片付けに、実家から来た彼女の母は、そう悲しそうにつぶやいていた。その言葉の重さも、あかりには負担になっていた。
 話せる人が欲しい。この寂しさを分かってくれる人が。
 一瞬、タキシードの男が頭に浮かんだものの、あかりにとって彼は運命共同体であり、彼女に妖魔の存在を知らせるコーディネーターであり、恋愛の対象にはなりえないのだった。

「2LDK」を観た。 

 個人的に気になる小池栄子が出ていたので借りてみた。製作されたのは2002年なので、結構前である。なんか、『もうお蔵入りになるんじゃないか。』と、小池がコメントしていたので、公開が遅れたようである。
 同じタレント事務所に所属する、ラナ(野波麻帆)と、後輩の希美は、事務所の意向で、2LDKをルームシェアしている。しかし、当たり前だが、他人同士のそりというのは合いにくいもので、ラナは希美の神経質なところが気に入らないし、希美は、事あるごとに先輩風を吹かすラナを、内心馬鹿にしていた。そんなあるとき、二人はたまたま同じ映画の役をオーディションで争うことに。そしてその夜、抱え込まれた二人の不満は、ついに爆発する!
 この話の肝はここからで、この後、話はとんでもない方向に転がって行きます。一言言うなら、小池も、野波も、『ここまでやるか!』と、思うくらいに徹底的にやります。何をやるかは、観てのお楽しみ。ゾンビのようにしつこいです。
 女優の体当たり演技に気おされて、評価は高くなりました。
   監督 堤幸彦
   脚本 堤幸彦・三浦有為子

藤原紀香。 

 のきおの部屋において、のきちゃんが藤原紀香のことを持ち上げていたので、私も便乗しよう。言いたい事はのきおと同じで、彼女には多分人生の目標というものがあって、そこに至る努力をする、意志の強さを感じるという事だ。
 例えば、毎日一分勉強している者は、一年たったら何もしない者に対して、六時間分のアドバンテージを持つという事を、ちゃんと分かっているのだろうと思う。
 さて、もちろん彼女には、結婚後の自分の、あるいは家族の理想像があると思う。しかし自分の理想像はともかく、家族の理想像は、思うようには行かないもの。そんな時にこころのパラダイムシフトが出来るかどうか。肩の力を抜いたり、叱咤激励したり、いっそほったらかしたり。自分のベクトルで他人を見てると、ギクシャクするのは間違いないので、理想から外れても、遠回りしてもまあ良いか、と考えて幸せになってほしいよね。

死んだ。死んだ。 

 人は必ず死ぬ。それは分かっているけれど。なら、私達は彼らを語り続けるしかない。
伊福部昭、丹波哲郎、実相寺昭雄、青島幸夫、岡田真澄、岸田今日子、藤岡琢也、今村昌平、フィリップ・ノワレ、ポール・モーリア、木下順二、黒木和雄。
 さよなら、さようなら。

「ルート225」を観た。 

 子供はいつだって前向きだ。そして、子供はいつか親から巣立っていく運命を持っている。この物語の主人公たちは、それがちょっとだけ早く、強制的に来てしまったのだ。そして親は、旅立つ子供たちに何もしてやれない。ただ君の旅立ちに幸あれと、せめて濡れないように傘を持たせてやるだけのことだ。そして、いつの間にか別れはやってくる。後になって、『ああ、あの時がそうだったんだ。』と、気がつくが、その時はたいてい後の祭りなのである。
 中学生のエリ子(多部未華子)は母(石田えり)に頼まれ、弟(岩田力)を迎えにいく。ところが、何の前触れもなく、世界は装いを変える。『ここは元の世界じゃない!』そう、彼らはいきなりパラレルワールドに迷い込んでしまっていたのだ。問題な事に、この世界に両親はいない。何とかして帰らねば…!
 最初に書きましたが、最初、のんびり過ごしていた子供たちは、"自分たちの世界の危機"(あくまで個人的に。)に直面し、思いもよらぬ行動力を見せ始めます。だから、正直、予想外のラストにも、ある意味納得が出来るのです。生きていく場所が大事なんじゃない。君が生きていることが大事なんだ。そうこの映画は訴えかけているのです。

   監督 中村義洋
   原作 藤野千夜
   脚本 林民夫

「カミュなんて知らない」を観た。 

 なんという事だ。なんてものを観てしまったのだ。これこそ、"触れえざるもの"。もし、あなたがこれを観るなら、こころして構えよ。一瞬たりとも目を離してはいけない。
 この映画の主人公たちは、大学の授業の課題として映画制作をする事になる。出されたテーマは、愛知県で起きた高校生の不条理殺人。ところが、『人を殺したらどうなるか、試してみたかった。』といった高校生の気持ちに、皆が引きずられ始めたかのように、それぞれの立場や気持ちは不安定になっていく。
 『ベニスに死す』や、『アデルの恋の物語』はじめ、多くの名画の引用やオマージュにあふれ、意欲的な演出、カメラワーク、音楽の使い方に刮目せよ。事に出だしのトリックに気がついた時、もう監督の術中にあなたはハマっている事だろう。そして、ラストの15分、あなたは最大の謎を目の当たりにする。彼らは映画を作っていたのか?それとも…?だって…だって、『カット!』がかかっていたじゃないの!
 エンドロールさえも意味があるような気がして、震えが止まりませんでした。
 若い時から映画に関わってきた柏原収史前田愛は現場の雰囲気をよく醸し出しているし、吉川ひなの中泉英雄の演技・あるいは雰囲気はまったくもって素晴らしいの一言に尽きる。いや、いいものを観させてもらいました。

   監督・脚本
      柳町光男
   音楽 清水靖晃
   出演 本田博太郎
      田口トモロヲ

「ピーナッツ」を観た。 

 祝!内村光良監督(脚本も)作品!なのだ。そうだよね、みんな。
 以前から映画好きを自称するウンナンは、「七人のおたく」でもその片鱗をうかがい知る事が出来た。しかしあれから15年近く。やっと彼らの(片方だけだが)映画が出来た事はとりあえず喜ばしい。さて、その出来は…。
 富士山麓の田舎町に、メンバーもろくに集まらない、さえない草野球チームがあった。その名は「ピーナッツ」。しかし、彼らは十年前、軟式野球大会で日本一になった事もあったのだ。その中心メンバー、"伝説のサード"秋吉(内村光良)が、東京から帰ってきた。彼は青息吐息のピーナッツを、もう一度復活させようと昔のメンバーたちに持ちかける。しかし、かつての最強メンバーも、家庭の事情や、不景気の陰や、肩の故障を抱え、思うように集まらない。それどころか秋吉本人すら、なにやら含みを持っている様子。そんな中、地元の商店街に再開発の話が持ち上がる。ピーナッツの監督でもある商工会会長(ベンガル)は反対するが、形勢は悪い。そこで会長が持ちかけた提案とは…。
 えー、このあらすじだけでもう読めると思いますが、ものすごくベタなドラマが展開します。予想はまったく外れません。アメリカ人でも分かります。でも、悪くないんだ、これが。少なくとも「シムソンズ」より、"分かった"造りで、好感が持てます。
 ただし、問題点も多数。ぬるい感じに、細かいツッコミするのが馬鹿馬鹿しい気分になったのはまあ確かだが、やはりお笑いの人々の演技は問題多いよ、とだけは言っとこう。
 あ、あと、ウッチャンのアクションはさすが、とだけ言っておこう。
 あ、あと、野球部出身だけあって、TIMの二人は野球シーンで抜群、とだけ言っておこう。
 あ、あと、ふかわりょうはやはり役者のセンスがある。彼の作った音楽もさまになってる(ロケットマンとして音楽担当)。
 あ、あと、佐藤めぐみはかわいいと… 一つじゃないのかよ! (by三村マサカズ

「お局戦士セイラアムーン」その5。 

 息が出来ない。どうなってるんだろう、私の身体は。硬く首を絞められて、壁に押し付けられたあかりは、何とか首だけ回して、自分を押さえつけたものの正体を見た。「!」
 "それ"は、確かに杏子だった。だが何かが変だ。なんというか…コピーを鏡に映した様な…本物だけれど、まるで実感が無い、あやふやな"もの"。あかりは、自分がまるで異次元に迷い込んだような不安定さを感じていた。
 「あ…あなたは誰。」"杏子"は、まるで薄い紙のように笑いながら、『あら…何を言うんです?私ですよ?ねえ。』と答えた。「違う…杏子はそんなんじゃ…ない…あなたは別人だ…わ。」『うふふ。まあね、確かに違いますよ。こうなったらもう私の勝ちだから言っちゃいますけど。私は特定の人間を喰って、その人間に化けるのが得意な妖魔です。』"杏子"のニヤニヤ笑いはどんどん酷くなっていく。不自然さは取り繕いの出来ないほどになってきた。「喰って…?成りすます…?」
 『おい、タキシード仮面!』妖魔は突然、部屋の真ん中で腕組みをしていたタキシード仮面に声をかけた。『いひひ。プリンセスが捕らわれているとはいえ、情けないじゃないか。ふひひ。貴様も護衛ならばもっと必死になったほうが良いぞ!ふはははは!』
 『…まあ、必死になる時はなりますけど。』タキシード仮面はのんびりと答えた。『その必要も無いのに慌てちゃあ、カッコ悪いじゃないですか。』『何!?』『大した事じゃないんですよ、あなた程度の妖魔。プリンセスには。』
 『ナンだとおぉ~!?』あかりを締め上げる、怪異に折れ曲がった関節。薄ら笑いが引きつったまま貼り付けられたような顔。実在感の無かった"杏子"は、今や杏子の形をしているだけの、明らかに別の生物になっていた。『強がりはそれまでだ!こ、こいつの首ぅお、ねじ切ってやるるぅ!』
 恐ろしい力が首にかかったのが、あかりにも感じられた。だが、あかりに、"痛い"とか、"苦しい"といった感覚は無かった。頭の中で 
杏子が食べられた 事だけがぐるぐる渦巻いていた。『…杏子が』『…食べられた。』
 …杏子は私の4年あとに入社してきた。当時は同じ部署で、一人前になるまで仕事を叩き込んだのは他でもない、私だ。厳しくした事もあったが、ちゃんと私の意図を理解してくれた。『私を一人前にしてくれたのは、あかりさんです。』そういって、慕ってくれた。…かわいい、かわいい後輩だった!
 力がみなぎる。胸が熱い。ひたいが熱い。「…あの娘はッ…決して不幸になる娘じゃなかった!仕事にしろ、なんにしろ、幸せが似合う娘だった!」熱い、熱い、熱い熱い!
   胸が熱い!ひたいが焼けるようだ!
 今度は妖魔が動転した。どう考えても、普通の人間ならとっくに死んでいるはずだ。なのに、この女はまるで、夜空に煌々と輝く月のような、高貴なエナジーを発し始めている。『な、なんだこれは…?』しかも、締め付けているその女のひたいに、いつの間にか燦然と、三日月の刻印が現れているではないか。

 三日月が輝きを増した。「ムーン・ヒーリング・エスカレーション!」

「北の零年」を観た…。(死んだ) 

 ちょっと前に観た「千年の恋・ひかる源氏物語」はひどかった。もともと映画制作のコツが分かっていないテレビ朝日と、旬を過ぎた姥桜・吉永小百合の組み合わせは、相乗効果で熱が出るほどだった。でも、この作品はそこまで行かないだろう。監督・行定勲が何とかサマになるくらいにはしてくれるだろう。…などと思ったのが間違いだった。脚本は那須真知子。かの「デビルマン」の脚本家である!
   駄作に向けてのオープンリーチ!!
 明治初期、徳島藩に反発した淡路の稲田家臣たちは、新政府から御家存続の為には北海道・静内にて開拓を行うよう命じられる。最悪の状況の中でも、何とか困難を乗り越えようとする家臣団。しかし、現実は、彼らの想像を絶する過酷さで人々の心をも蝕んでいく。新政府に見捨てられた彼らは、状況を打破する為に、信頼するリーダー格の小笠原(渡辺謙)に、農業の技術を学んでくるよう希望を託す。しかし、小笠原は消息不明となり、よからぬ噂に彼の妻・志乃(吉永小百合)と娘(大後寿々花、のち石原さとみ)は苦悩する。そんな折、村に二人の怪しい男が現れる。ひとりはアイヌらしき格好のアシリカ(豊川悦司)。そして村に出入りし始めた商人・倉蔵(香川照之)。そのどちらもが志乃に近づいてくるのだが…。
 かの船山馨「お登勢」(NHKドラマでは沢口靖子が神憑り的に可愛かったナ)でも書かれた、庚午事変のその後を描いた作品。しかし、はっきり言って、萎える描写が続出で、ものすごく疲れました。本当にこれを作り込めば、二時間半でも足りないのに、ただ長い映画になってしまっています。絶望を表すのに、何の脈絡もなく、どこからともなく"ええじゃないか"の集団が現れて去っていくなんて…ギャグ漫画かいな。
 登場人物の行動に筋は通っていないし(倉蔵は善い奴なのか悪党なのか分からんとか)、ドラマの基本を外した脚本だし(渡辺謙が本当に裏切っていたとか…こういうのって、裏切ったように見せかけて実は、てのがセオリーなのに)、製作側に都合のよい物語の流れは、視聴者無視もはなはだしい。最後はみんなで手に手をとって開墾を再開し、そこに逃げた馬が戻ってきて、ハッピーエンド…らしい。おい。
 石田ゆり子がきれいだっただけ救われた。それだけ。

佐々木昭一郎を知っていますか。 

 1974年、NHKであるドラマが放映された。「夢の島少女」という。全国にNHKドラマディレクター佐々木昭一郎の名前が轟いた瞬間だった。主演は中尾幸世。その映像マジックに、多くの人が心揺り動かされた。その後「赤い花」(1976)で再び人々を驚かせた彼は、次の代表作「四季・ユートピアノ」(1980)でその評価を不動のものとする。
 私的な事を言わせてもらえば、文化庁芸術祭等で賞を取ったこの作品が、私が佐々木ディレクターの世界に魅了された、最初の作品となりました。主演は再び中尾幸世。このドラマで主人公は、ピアノの調律を行いながら、ドキュメンタリーとドラマの間を彷徨い、一時も目の離せない緊張感を視聴者に与え続けました。
 「四季・ユートピアノ」の成功の後、中尾幸世との連作「川の流れはバイオリンの音」「アンダルシアの虹」「春・音の光」が発表され、多くの映像賞を再び受賞します。
 この、"川"と"音楽"をモチーフにした連作は、海外ロケを敢行した上、地元の人をそのまま役者として出演させる事で、ドキュメンタリーとドラマの境がますますあやふやになって、独特の雰囲気を醸し出しました。
 さて、このような作品群に魅せられたファンは多いらしく、現在"たのみこむ"にて、多くの人がDVD化に向けて賛同者が集まっております。もし貴方が興味があるなら、是非覗いて見てください。

テレビを買った。 

 十年にわたって使っていたテレビが、ついに壊れた。
 予定では2008年冬に買い換える予定だったが、前倒しするしかない。

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 32型液晶 LT-32LC85 
 またしてもビクターになったのは、このクラスで一番納得のいく性能だった事。実際、解像度、発色、スピード感、音質、どれもほぼ申し分なし。大事にするからな。


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 さらば、である。自分の一番思い出深い、南国期の部屋にあったテレビだ。最近はすぐに画面焼けを起こし、最後は下半分しか映らなくなってしまった。
 ご苦労様。今までありがとう。

「お局戦士セイラアムーン」その4。 

 ドアが開いて入ってきたのは、部下の高山杏子。
 『あれ…あかりさん?』辺りを見渡した杏子は、カーテンの陰でニヘニヘしていたあかりを見つけた。『なにやってるんですか、先輩。』杏子は、手にした試作品のサンプルをテーブルに並べながら、なんという事のない話を始めた。『…で、向こうに振り込むのは明日になるって言ってたんですよ。でも急ぐなら今日中にしますけど、なんて言うんですよ?それっておかしくないですか?サービス業だったら、そんな事最初からやれよっつーの!…って、何で隠れてるんですか。』そのとき。『いいかげんに正体を現したらどうかね。』物陰にいたタキシード仮面が杏子に声をかけた。…って、えーっっっ!それはないでしょ!あんたが出てきちゃあ!「ちょっと、やめてよ!」『ぷっ!何ですか先輩、その格好は!』…しまった、ついうっかり。
 『カーテンの陰に隠れていたから、何かと思えば。あ、ひょっとしてこの人とそういうプレイの最中とか。あ、大丈夫、私、誰にも言いませんから。』『クックック。下手な芝居は止めたまえ。君が月の王女を狙う刺客だというのは判っている。』な、何を言っておるのだ、こいつは。「ちょっと!なに言ってんのよ!この人は…」その時、杏子の口から、この世のものとは思えない声が発せられた。『さすがだな。既にお前がガードしているとは、想定外だったよ。』

「有頂天ホテル」を観た。 

 観た。感想は…まあ、三谷さんは、やっぱり舞台脚本家なんだな、と。
 さて今回、役所広司駄目駄目です。キャラクターに筋が通ってません。思慮深いのかと思わせて、結構出たとこ勝負な一面も。こういう人は、逆上するととんでもない事をしでかしそうだ。同じ事は佐藤浩市にも当てはまるが、こちらは松たか子が、ずばっと解説してくれる通りこういうキャラクターであり、これにより物語が締まるので、気にならない。篠原涼子は魅力的でしたし、香取慎吾はイイ感じだし、西田敏行梶原善は笑わせてくれるし、豪華役者陣はいいです。と、いう事はやっぱり…。
 印象に残る、気の利いたセリフは、佐藤浩市の『帰りは遅くなる。』ぐらいでした。

   監督・脚本 三谷幸喜

「楽園 流されて」を観た。 

 タイトルからも判る通り、かのリナ・ウェルトミューラーの有名作「流されて…」にインスパイヤされたのは間違いないのですが、はっきり言って、あの退屈な元ネタを、こうまでエキサイティングに変えるか!と、観ていてスカッとした作品。(私「流されて…」って、ピエロ・ピッチオーニの音楽しか興味ないのよ。)
 ゴーマンかました女が、冴えない男と無人島に流されるのは元ネタと同じ。しかしこの映画のヒロイン(街田しおん)が違うのは、やたらバイタリティーがあることだ。腹が減ったくらいで男に媚など売らぬのだ。むちゃくちゃ痛快である。彼女はあくまで、意志の強い男にしか惹かれないし、身体を許さないのだ(腹は減ってたが)。
 救いようの無い話に見えて、結構救いもあって、結局男は自己改革に励み出すし、実は殺人はしてなかったし(これだけでは意味が解らんでしょうが)、女も少ーし変わったのが分かる。最後のエンドロールの雰囲気は、えもいわれぬ穏やかさにあふれていて、引き込まれてしまいました。
   監督 亀井亨
   脚本 亀井亨 永森裕二

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